Into the Spider-Verse

スパイダーマン:スパイダーバースを観た。

親が海外の出身ということもあり、アメコミ文化というのは割と身近にあった方だと思う。
とはいえ日本で暮らしていると供給源の関係上、自分で直接触れるアメコミ界は映画くらいのものだった。

スパイダーマンは2002年に映画化された第1作目とその次作の第2作目しか観ていない。恐らく第3作目も触れる程度に観ているとは思うのだが、記憶にないので実質観ていないと同義だろう。

シリーズものの映画というのは昔から苦手だ。似たような展開の連続で飽きるし、どうあっても続編が第1作目を観たときの「これは新しい!」という感動を超えることがないからだ。

そういう理由から、スパイダーマンもまた私の興味から外れて久しい作品だった。リブート作品であるアメイジングシリーズの評判が上々であることを知っていても、やはり興味は湧かなかった。
そもそもアメコミ界はマルチユニバース至上主義なところがあって、有り体に言えば公式が同人誌化している。わたしはそれが大嫌いで、アメコミ自体に嫌気が指していた。今も苦手意識を募らせている真っ最中である。

それが何故、急にスパイダーマン:スパイダーバースを観る気になったのか。
偏にアニメーションの出来がよいこと、異なる絵柄のキャラクターが一堂に会しているその様子に非常に興味を持ったことが最大の理由だ。

スパイダーバースについては、少しばかりコミックスを遠目程度に見たことがある。たまたま見たページが悪かったのだろうが、みんながみんなスパイダーマンになるというような図が描かれており、当初はその発想に呆れたものだった。
スーパーヒーローというものは、いつだって唯一であるからこそ輝く存在だとわたしは考えている。ヒーロー自体は何人いてもよいが、スーパーパワーを持つヒーローは何人もいては困る。だからスパイダーバースなどというものは全くけしからんと思いを燻らせたものだ。

それが映画化したと聞いたものだから、当然始めはいい印象を抱かなかった。しかし予告を見るとなかなかに面白いアニメーション表現が使われ、ストーリーも惹かれるものがある。だが長年スパイダーマンから離れていた自分は、わざわざスパイダーマンの作品を映画館で観るという選択をすることはなかった。そうして頭の片隅に、あまりイケメンではない壮年のピーター・パーカーの不服気な顔の印象だけが残った。

時は流れ、Twitter上でペニー・パーカーのGIFが溢れる頃。やっぱり劇場で観るべきだったかなぁと思うくらいに映画スパイダーバースへの賞賛が目に付いた。それでも、まぁいつかは観ようというような軽い気分で見送るくらいには興味は薄かった。

さらに時は流れ、その日は全く別の目的でGEOを訪れていた。新作レンタルの棚にスパイダーバースが並んでいるのを見て、そうかもうレンタルが始まったのかと思いながら通り過ぎる。新作のレンタル料は高い、借りる気は起きなかった。
帰りに来店ポイントを受け取ろうとゲオアプリを起動すると、ゲオスという、ネーミングセンスを全く感じさせないポイントがそれなりに溜まっていることに気付く。
ゲオスの使い道はただ一つ、集めて抽選に応募して当たりならクーポンを貰う。抽選制のクーポンだなんて、と不満を覚えつつ他に使えもしないので1番ポイントの消費量が多くて1番当たって嬉しい、すなわち「新作を含むレンタル1点無料」の抽選を行う。

当たるわけがない。と、思っていたら当たったので、「あ」と思わず声を出す。踵を返し、そのまま素早くスパイダーマン:スパイダーバースを手に取ってレジへ向かった。

それが、わたしとスパイダーマン:スパイダーバースの始まりだ。


さて、ようやく作品の感想となるわけだが…はっきり言ってとても素晴らしい!
期待していたアニメーションは然ることながら、テンポの良いストーリーライン、センスの良いユーモアそしてバランスの良いメタ要素。観客を飽きさせる要素が一切ない奇跡の出来栄えだ。いや、奇跡と言うのは失礼すぎる。これは制作陣の並々ならない愛と努力の結晶だ。

当然、この作品を楽しむにはある程度のスパイダーマン知識があった方がよい。あればあるほどこの作品は面白味を増すだろう。自分にとってはドクター・オクトパスが良い意味で衝撃的すぎて、事前知識があって良かったと心の底から思った1番の要素となっている。歴代の作品に裏付けされた固定観念を見事に打ち砕いてみせたその存在は、スパイダーバースのスパイダーバースたる所以そのものを象徴していると言っていい。

ビビットでショッキング、独特の色使いはプロメアが記憶に新しい。スパイダーバースの色使いも負けず劣らず観客に生き生きとした刺激を与えてくれるものだ。
またコミックタッチな描き方は度々挟まれるメタ要素に実にマッチしており、観客をよりこの作品へと没入させる要素となっている。キャラクターたちが第四の壁から飛び出すのではなく、むしろわたしたちが壁を超えて向こう側へと突入するかのような感覚は滅多に味わえるものではない。中にはユニバーサル・スタジオにあるスパイダーマンのライドを思い起こした人もいるだろう。それほどまでにこの作品は観るだけに留まらない"アトラクション"となっている。

ストーリー面では個人的にピーターとマイルズの擬似親子のような関係がとてもよかった。互いに影響を与え、成長または鼓舞する様子は単なる師弟関係でなく、父と子の関係に近い。マイルズと実父、そして伯父との関係も実に良く描かれている。
だらしないかと思われた別ユニバースのピーターは、どんなに腹が出ていてもやはりちゃんとスパイダーマンだというのも見ていて気持ちの良いものだった。
アメコミ界はある程度マンネリ化すると必ずヒーローを落ちぶれさせたがる傾向にある。それこそマンネリというものだ。
あらゆるユニバースのスパイダーマンが言っていたように、何度倒れようとも必ず立ち上がるその姿に我々はヒーローを見る。しかしそれを履き違えた作者たちは、ただひたすらにヒーローを過酷な目に合わせることに固執し始めた。思えばスパイダーマンというヒーローはアメコミ界でも中々に過酷な経歴を持つヒーローではなかったか。それがこの作品ではヒーローが孤独ではないことを見出し、家族との絆を深め、希望に溢れる再出発を描いている。従来の傾向とはまるで異なるものだ。

この映画は従来のアメコミが陥っていたマンネリから見事に脱却し、まさしく理想のヒーロー映画を作るに至った。アニメーション云々以外に、実はそうしたところが高評価の理由なのではないかと考えたりする。

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