プロメア・アンコール

今は遠方に住んでいる友人が帰省したので、2人でプロメアを観に行きました。

なんでも興味はあるけれど、現地元では手軽に行ける映画館がないとのことだったので、じゃあこっちで一緒に行こうと誘った次第。
プロメアは以前も観に行った作品だが、実のところ初回が応炎上映という無謀も過ぎるチャレンジだったため、もう一度静かな環境で見直したいと思っていた。

良い作品は何度観ても良い。名探偵ピカチュウは3回、通常・IMAX・4DXで楽しみ、まだ観たいと強く願っている(金銭的に厳しいので諦めた)。
プロメアも2回目でも十分に楽しめ、さらには公開より1ヶ月以上経っているにもかかわらず映画館の座席がほぼ全席埋まっていることに驚愕。初回とは別種の楽しさを見出せた。

しかし観客の静けさに違和感を覚えてソワソワしてしまったので、やはり初回で応援上映に行ってはダメだな、としみじみと思うのだった。


以下ネタバレ含む
プロメアという作品はその名の指す通りにギリシャ神話における男神、プロメテウスが由来であろう。

プロメテウスの有名な話に「人間に火を与えた結果、ゼウスの怒りを買って磔にされ、生きながらに肝臓を鷲に食われることになった」というものがある。具体的な内容は割愛するが、大まかにはそういう話だ。

ゼウスに命じられてプロメテウスを磔にしたのは権力の神クラトスとその兄弟である暴力の神ビアーである。プロメテウスは不死であるため、その肝臓は何度も再生し、なくなることはない。長い苦しみの末、最終的にプロメテウスはゼウスの息子であるヘラクレスによって救われる。

またプロメテウスには息子がおり、その名をデュカリオンという。
ギリシャ神話の「デュカリオンの洪水」はキリスト教でいうノアの方舟伝説であり、人類に失望したゼウスが大洪水を起こすが、父プロメテウスから事前に情報を得ていたデュカリオンは方舟を作って妻と難を逃れるという話だ。
ちなみにこの洪水の生き残りにはゼウスの息子メガロスやパルナッソス山の頂に逃れたパルナッソスの住民たちもいたそうだ。デュカリオンの方舟もまた、このパルナッソス山に漂着したという。

さて、「火」と「再生」はそのまま劇中のバーニッシュの能力に当てはまり、クレイの方舟計画の名にはそのままパルナッソスが使われている。
デウス博士の「デウス」はラテン語で「神」を意味するので、この場合はギリシャ神話の最高神ゼウスを表しているのだろう。
リオの名はプロメテウスの息子デュカ「リオ」ン、ガロの名はゼウスの息子メ「ガロ」スからと考えられる。同様にクレイとその秘書ビアルはプロメテウスを磔にしたクラトスとビアーからであろう。

その他にも興味深い名称は劇中数多く登場するが、名前だけでなく、劇中ラストでガロデリオンが地球を7回パンチするのは創世神話に基づいているとか、この時の青緑の炎が水、つまりは洪水のようであるとか…とにかくプロメアは神話に関係する描写が多い。

また、ガロとリオが終盤に乗り込む機体デウス・エクス・マキナとはその名の通り機械仕掛けの神のこと。ギリシャ演劇やヨーロッパ叙事詩で度々登場する「ご都合主義」のことであり、収拾のつかなくなった物語を半ば無理矢理に運ぶための常套手段のことである。

象徴を背負う男、クレイ・フォーサイト
作中登場する要素の中で一番複雑怪奇に描かれているモノといえばクレイ・フォーサイトというキャラクターであるように思う。

穏和そうな様子から狂暴性を爆発させる豹変ぶりを見せた二面性も然ることながら、その内面のキャラクター性だけでなく全体的なデザイン性についてもかなり詰め込んでいることがわかる。

まず彼にはとてつもない量の「象徴」が組み込まれている。劇中の舞台であるプロメポリスの象徴として描かれているのは勿論、そうした直接的なものではない隠喩を数多く背負っている。

先に述べたようにクレイという名はプロメテウスを磔にした権力の神クラトス(英読みクレイトス)が由来であろうが、ファミリーネームであるフォーサイトは英語でforesight、つまり「先見の明」「洞察力」の意味であり、これはギリシャ語のプロメテウスと全く同義語である。クレイ・フォーサイトとはプロメテウスを戒める者の名であり、同時に戒められるプロメテウス自身の名なのだ。
ちなみにクレイがプロメテウスと同義であることついては公式のインタビュー記事で明言されている。

クレイのこの相反する要素は彼の二面性に表されるだけでなく、彼のそもそもの行動の動機にも深く関わりがある。このことについてはクレイに声を当てた堺雅人が上手く解釈してくれているので、興味のある人はインタビュー記事などを検索して欲しい。
彼の外見に関していえば、例えば映画パンフレットでは髪型のデザインは王冠をイメージしたと述べられているし、胸元の四角形(体制側)のマークに対角線が入り三角形(バーニッシュ側)を成しているしと、彼がどのような存在であるかを言葉を使わず物語っている。

服装の基調色である白は「神聖」「純潔」「善性」「正義」「平和」などの象徴であり、青いラインは作品のテーマである炎に対して氷の色とも取れる。青は寒冷色であり、冷静さや神秘性を秘めた色、古代では死に関連する色でもあったとされる。
出典は忘れたが、制作陣の話ではクレイのイメージカラーは青だという。燃やさなければ生きていけないのがバーニッシュであるなら、燃やすことなく生きてきたクレイはある種、死んでいたと捉えられるのかもしれない。また、死体を表して氷のようであると言うこともある。
一見するとリオたちマッドバーニッシュの黒と対を成す色合いではあるのだが、その一方でクレイのマントの「裏」地は鮮やかな赤となっている。この赤色というのは、クレイの常に閉じられ隠れている瞳の色でもある。
バーニッシュを非道に扱う体制側の人間でありながら、自身もバーニッシュであることを隠してたのがクレイというキャラクターだ。白と青、氷のような外殻で覆ったその内には、その実燃え盛る炎が宿っていた、ということなのかもしれない。

同様のデザインでいえば、ガロの瞳の色は青であるのに対し、瞳孔の色は赤である。ガロのような異色の瞳のデザインは同じ主人公であるリオにすら見受けらない(一方でリオの色合いも他と大きな隔たりがある)。熱い魂を宿した燃える火消しということなのだろう。

左腕の欠損もまた、左が様々な文化圏で不浄・不吉などのネガティブな象徴として描かれ、キリスト教的には悪魔的な意味合いを持つことから何かしら意図的なものが感じられる。
不浄の象徴である左腕のない表のクレイは、その白い服装と相まってどこまでも清浄な英雄として描かれている。そしてバーニッシュとしての力を解放した際にはその左腕から激しくプロメアの火が吹き出し、リオに悪魔と呼ばれる。この時の悪魔というのはリオにとってはクレイ自身を指すが、クレイにとって、また意図的な描き方として左腕のプロメア=悪魔がこの場面では表されているのではないかと思う。
プロメアで最も象徴的と言える要素である丸・三角・四角の3つの図形も、クレイは網羅している。クレイは回想時の学生時代、この3つの図形が描かれたパーカーを着ているのだ。

この時クレイは体制側の人間でもなければバーニッシュでもない、何者でもないことを意味しているかもしれないし、これからそのいずれかになる可能性を秘めている未分化状態であることを意味しているのかもしれない。イーブイかな?
あるいはその全てを兼ねることを示唆している可能性もある。クレイは丸を象徴とするデウス博士に師事し、三角を象徴とするバーニッシュでもあり、四角を象徴とする体制の頂点に立っている。
ネット上の噂では、彼が身につけているショルダーバッグのベルトがちょうど真ん中の図形を潰し、左右の図形を隔てていることも意味深いとか。
またクレイの象徴的要素はクレイ自身だけでなく、その周囲にも散見される。
例えば彼の本拠地である奇妙な形のビルは逆三角形を形成している。三角形の建造物といえば有名なのはエジプトのピラミッドであろう。ピラミッドの役割については諸説あるが、一般的には王の墓として知られている。クレイの髪型が王冠を模しているならば、この建物はクレイの墓とも言える。
しかし注目すべきはそれが逆さまにあることだ。ピラミットは通説として天へと昇る建造物とされている。それがひっくり返っているのだからクレイは天へ昇るのではなく地へと落ちることを示唆しているとも取れる。実際に彼の方舟は天へ至らず、英雄は地に堕ちた。また、逆三角形という崩壊寸前のアンバランスさは彼自身の内面の反映かもしれないし、三角形に象徴されるバーニッシュに抗っている証明なのかもしれない。

さらにこじつけるならば、このビルはピラミッド以外にも十字架に見えるという説がある。十字架に磔といえばイエス・キリストであり、イエス・キリストといえばメシア、救世主のことである。
劇中クレイは自身が救世主であると宣うわけだが、おそらくはキリスト的な意味合いで使っているのではないかと考えられる。というのも、堺雅人のインタビューにあるクレイの自殺願望を考慮するならば、実に辻褄が合う完璧な方程式がそこに出来上がるからだ。イエス・キリストは人類の罪を背負い、身代わりとして自ら磔となった。磔は即死するものではなく、何時間も苦しむことになる刑罰だ。この構図は非常にプロメテウスのものと似ており、また自ら進んで死へと身を投じるのは、ある種自殺願望とも取れる。この白いビルには一筋だけ赤い線が引かれており、さながら磔となった者から流れ出た血が滴っているかのようでもある。

登場人物の名前がギリシャ神話由来であり、そもそものタイトルがギリシャ神話のプロメテウスから来ているが故にどうしてもギリシャ神話を中心に考えがちであるが、その実この作品にはキリスト教的要素も多くある。
デウス博士のデウスも、ゼウスを由来とするのではなく、そのままキリスト教の神を表しているのかもしれない。現にデウス博士の機体に乗ったガロたちが地球を7回殴ったのは世界を7日で作ったという天地創造の暗喩である説はギリシャ神話でなくキリスト教由来のものである。
クレイの名前がギリシャ語ではなく英語読みで意味を成すのも、パルナッソスの例えにあえてデュカリオンではなくノアを使うのも、デウス博士とクレイはキリスト教側にあることを意味しているのからなのかもしれない。

とはいえプロメテウスは最終的にゼウスの息子に救われる。ヘラクレスとメガロスが同一人物であるかは定かではないが、とりあえずゼウスの息子という存在に救われるのだ。対してイエス・キリストは救われるのではなく、死した後に自力で復活を果たす。それ故にこの物語は結局のところギリシャ神話へと立ち返るしか道はなかったのだろうと思う。そもそもがレスキュー隊員が主人公なのだから、「救出」がなければ締まらないだろう。

ガロは自らを磔にしたクレイを引き摺り下ろすことに成功し、クレイはイエス・キリストではなく、プロメテウスとしての終わりを迎える。プロメアがその身に宿っていた頃ならいざ知らず、ただの人間に復活などできはしないので。

神話の崩壊
制作陣の話では、プロメアという作品を作る際の重要な要素の1つとして、主人公であるガロは人間でなければならなかったという。
主人公とは総じて特殊能力を持つ特別な人々であることが多い。実際にトリガーは自身の作品群を例に、ガロはそうした主人公たちとは異なっていなければならなかったという。

プロメアは様々な神話的要素をふんだんに含んでおきながら、その実既存の概念、神話からの脱却を試みているのではないかという意見がある。
そも火というモチーフは戦争や破壊に結びつけられやすい。劇中はリオたちバーニッシュの境遇への同情からつい忘れがちになるが、実際にプロメアは冒頭にあるとおり、恐ろしい災害として人類を脅かすものだ。それが最終的には地球を救うのだから、プロメアでの火は従来の火が持つ役割から脱却していると捉えられる。
また様々な神話で描かれる大洪水と方舟の関係は、本来は神の行いとして肯定的に受け止められるものだ。それが否定された上で救済が成されているのは神話への冒涜とも言える。

従来の神話とはその名の通り神々が主体となる物語だ。ゼウスの息子の名を冠しながら、ガロは人間でなければならなかったと強調するのは、プロメアという物語が神の役割を否定し人間の手に委ねられるものだと主張する意図があるのかもしれない。

しかし一方でガロデリオンのもたらした青緑の炎は水のような描写であり、大炎上=大洪水は成されたようにも捉えられる。プロメテウスもゼウスの息子=メガロス≒ヘラクレスによった救われたと捉えるなら、その実プロメアの物語は結局のところ神話の域から出られていないようにも思える。
プロメテウスによって神の火が与えられた人間は神へと昇進したという説もある。ガロデリオンは白く巨体で光輪を背負う、さながら神の化身のようである。リオという火を与えられたガロはあの時、神への昇進を果たしていた可能性があるのではないか。

ともすればプロメアは結局のところ、神話をなぞった物語でしかない。真に人間たちの物語が始まるのはプロメテウスの火が取り上げられた後であり、神話からの脱却は劇中ではなく、その後が訪れることでようやく成される。
物語終盤でガロの言う「これからだ」というセリフは、そうした神のいない未来への不安と期待を集約しているとも解釈できる。

0コメント

  • 1000 / 1000