刀剣乱舞、はじめよう
友人が刀剣乱舞を始めました。
友人はどちらかと言うと可愛い女の子のキャラクターが好きなため、所謂女性向け、つまり男性ばかりが登場する作品には興味がない(と思う)。正直なところ長続きはしないだろうという予感がある。
だがもし続くようならば、一審神者として歓迎したい。
そもそもどうして友人が刀剣乱舞を始めるに至ったかと言えば、おそらく私が度々刀剣乱舞の話をしていたからであろう。
本家ゲームのことというよりは、実際の刀を見に行ったことや、ミュージカル版の公演に参加したといった話がほとんどであった。
アニメ"花丸"の映画が始まる話もその内のひとつだ。
当本丸で聚楽第はいつぶりなのだろう?
友人と山姥切
少し前に友人と通話をしていた時、近々始まるアニメ映画の話題になった。
私が刀剣乱舞のアニメシリーズの1作品である"花丸"の映画が始まることを告げると、どんな作品なのかを聞かれたため、映画の公式サイトを一緒に確認することになったのだ。
友「この人かっこいいね」
友人が指したのはホームページを飾るイラストにいる山姥切長義であった。
かっこいい、と友人は何度か繰り返して言った。
私「うん。そう、かっこいい人だよ」
友人はその後、キャラクターページのキャラクターの多さに驚いたり、週替わり特典を確認したりしたものの、興味らしい興味を示したのはそれくらいだったと記憶している。
それから時間が経ち、今日である。久々に直接会って話をしていく中で「刀剣乱舞、やってみない?」と声をかけてみた。特命調査、聚楽第が復刻したからである。
今ならあのかっこいい銀髪の人、入手できるよ。用意していた言葉はしかし、発する前に友人の快諾で出番を失った。
あまりにもあっさりしていたので、ここ最近ずっと刀剣乱舞の話をしていたのが影響したのかもしれない。
友「ダウンロード、時間がかかるね」「オープニング飛ばせないの?」「え、またオープニング?」
私「せめて初期刀選ぶところまでは見せて」
欲を言えば聚楽第を程度進めるところまでは確認したかったが、色々と痺れを切らした様子の友人に頼むことができたのはそこまでだった。
初期刀選びの画面、加州をリヴァイ兵長と呼びつつページを送る友人が突如として「あ!」と大きな声を出した。
友「絶対この人!」
指し示したのは山姥切国広…のCV欄。絶対この人だよ!と繰り返す友人を前に、私の頭を過った"とうらぶ知識ゼロが初期刀山姥切国広を連れて初イベで聚楽第…?"という悪いのか美味しいのかわからない状況に対する動揺。
私「エッ……ナ、ナンデ?」
友「だってCVが鍾離先生だよ?」
友人は原神というゲームに登場する鍾離というキャラクターが大好きであった。そして声優に詳しかった。
どんな理由にせよ本人が心から選んだのならそれが正解である。山姥切国広を初期刀に、友人の本丸は成った。
私が確認できたのはそれまで。それから先は友人の気分次第だ。
振り返り
自分の本丸の話もしよう。
私が審神者に就任したのは6年前、刀剣乱舞のスマホアプリ版がリリースされた日のことである。
当時、刀剣乱舞は周りで大層話題なっていたため、非常に興味があったのだが、ブラウザゲームという私が最も苦手とするゲームの一種であることを理由にプレイを断念していた。
それがスマホアプリでリリースされる上に、非常にレアなキャラクターが2人も貰えるというのだから、始めない手はない。
さて、そんな訳でアプリをダウンロードしたものの、地元の名を冠すサーバーが満員で選べなかったり、日本刀の知識を全く持っていないのに初期刀を選べと言われることに理不尽さを感じたり、当時理解できなかった男の娘という概念を突き付けられたりした結果、自分は開始早々に刀剣乱舞という作品に対してアンチのような感情を抱いていた。延いては、アイデアの元となった日本刀自体を嫌うようになった。
初期刀である陸奥守吉行の「銃は剣より強し」という言葉に深く頷き、なぜ西洋の刀剣類も実装しないのかと文句を垂れ、日本刀に微塵も興味を持つことはなかった。
しかしアプリのデータは維持し続け、数ヶ月放置することもありつつも、気分が向けば起動するということを繰り返していた。
数年が経ち、アンチ的な感情がもはや湧かなくなった頃には、適度にキャラクターに愛着も興味も持つようになり、刀剣乱舞のストーリー性やゲーム性に欠けるところも逆に好感を抱く要素となっていた。
常にプレイしなければ置いていかれる、というのがネットゲームきありがちな悪い点であるが、刀剣乱舞はそれをまったく気にしなくてもいいのだ。イベント限定キャラはいるが、その存在によって戦力に影響が出るということはまるでなかった。
好きな時に、好きなように遊べるゲーム。とても気が楽だった。ただ、それ以下でもそれ以上でもなかった。
転機はTwitterで流れてきた岡山県瀬戸内市のクラウドファンディングの情報であった。
それまで刀剣乱舞の人気のお陰で行方不明の刀が見つかった、というような話は度々耳にしていたが、初めてリアルタイムで現実の日本刀に関する動きを知ったのだ。そして連動するように刀剣乱舞でも山鳥毛が実装された。
これはお祭りだ、と当時の自分は思っていたと思う。
流行りに乗っかりたいという気持ちと、純粋にこの界隈に貢献したいという気持ちとで寄付をした。そうして当事者意識のようなものが芽生えたのだと思う。途端に日本刀に興味が湧いた。
そして刀剣乱舞という作品群を以前よりも意識するようにもなった。
とはいえ積極的に情報収集をし始めたのかというとそうではなく、単に今まで聞き流していた、読み流していたような情報に対して、興味を持って吸収するようになったくらいだ。
さらに自分の背中を刀剣乱舞、延いては日本刀の世界へと押した出来事がもう1つある。
新型コロナ感染症が爆発的に広がり、ステイホームを余儀なくされていた時期、刀剣乱舞の舞台版とミュージカル版が無料配信されたのだ。
正直、自分は2.5次元というものに興味はなかった。しかし以前よりも刀剣乱舞に興味を持ち始めていた自分は迷いなく観ることを決めた。
刀剣乱舞はストーリー性に欠けているから良い、と前述したが、ストーリーがあるならあるで良いというのは当然だ。そしてそのストーリーの出来が優れているなら尚更。
舞台・ミュージカル刀剣乱舞は、自分の刀剣乱舞に対して欠けた"興味"の最後の1ピースを補完するものだった。それまでどこか薄っぺらかったキャラクターたちへの印象が厚みを持ち始め、何故彼らは戦うのかという、物語の根底を理解させられた。
そして単純に演劇そのものが素晴らしかった。これを語るには語彙力が足りないので割愛するが、演者というものはとんでもない生き物なのだと実感した。
刀剣乱舞は面白い。心の底からそう思い始めたのはそこからだと思う。
さて、そこまでなら極々一般的なファン、というかライト勢止まりだっただろう。しかしさらに私を刀剣乱舞の沼に沈める出来事が起こる。
刀剣乱舞無双の発売である。
刀剣乱舞はストーリー性にもゲーム性にも欠けているから良い、と前述したが、どちらも備わっているならいるで良い。その出来が優れているなら尚更。
というわけで、刀剣乱舞無双は非常に優れたゲームだった。ゲーマーからすれば物足りないかもしれないが、そもそものターゲット層がアクション要素が全くない刀剣乱舞のプレイヤーであるので、百点満点中二百点は叩き出しているような正解を出している。
システムだけではなく、ストーリーもしっかりしており、繰り返すが、キャラクターゲームとしては非常に優れている出来だった。
なんなら私は刀剣乱舞のファンというよりは、刀剣乱舞無双のファンと言った方が良いほどに刀剣乱舞無双が好きだと言える。
とはいえ、刀剣乱舞あってこそのコラボ無双であることは承知の上だ。
刀剣乱舞を好きでいると大層良い経験ができる。もっと好きになりたい。
言葉にするとなんとも邪な思いのようであるが、それが私の原動力となった。
日本刀……刀剣についてちゃんと学ぼう。
そうして私は玉鋼で小刀を作れる体験に申し込んだ。
何故そこから?と思われるかもしれない。私は文献を読むのを非常に苦手としており、わからない単語が羅列するとすぐに吐き気を催してしまう。
故に身体で覚えるというのが性に合っている。そもそも刀剣がどのように作られているのかを知らないことには、出来上がっている刀剣のことを知ることなどできないと思ったのだ。
体験に申し込んですぐ、刀剣乱舞の方では全くの新イベントである対大侵寇防人作戦が始まった。
前座のようなイベントはあったので、信じられないが刀剣乱舞はレイドをする気らしいと早い段階から界隈はざわついていたわけだが、まさかの予想を上回る出来事が多々起きることとなった。
自分が数年を経て刀剣の世界へと踏み出したと同時に刀剣乱舞がそのようなことになったのだから、運命的な何かを感じても仕方のないことだろう。
とにかく自分は(小)刀を打ち、防人作戦は無事に終わり、三日月は修行へ出て、私の刀剣乱舞は何度目かわからない始まりを迎えた。
盆栽のようなゲームと思っていたが存外新しいものに次々と出逢わせてくれるゲームである。
人気のためか、実在する刀があるためか、あるいは2.5次元があるためか、現実の世界で出会うことも多く、リアルとの境が曖昧な点も刀剣乱舞の面白味の1つだと感じる。
ひとまず振り返っての記録はここまでに。望むらくは、これからも変わらぬ調子で末永く刀剣乱舞が続くことである。
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